患者さんから
心残りは、ドナーさんに感謝の手紙が書けなかった事
Aさん(長野)
 私は2005年1月に急性骨髄性白血病に侵された、長野県に住む38歳の男です。
 骨髄移植以外に命をつなげる方法が無いと断言されて、親兄弟のHLAを調べましたが残念ながら適合しなかったので、骨髄バンクに登録しドナーさんを探して頂きました。
 幸運な事に私とHLAがフルマッチの方がみつかり、移殖への最終同意も頂けまして、9月吉日に輸血パックに込められた【善意の愛の骨髄】が手元に届き、無事に移殖を行なう事が出来ました。
 この善意の骨髄のおかげで一命をとりとめることが出来ましてた、ドナーの方には何とお礼を言ったらいいのか、本当にありがとうございました。
 移殖からすぐにGVHD(副作用)が大きく出てしまい、130日で何とか退院したのもつかの間で、免疫力が弱くて肺炎・感染症・腎臓生検・血中濃度検査などで入退院を繰り返し、現在も白血病の再発は封じ込めていますが、GVHDによる腎炎(ネフローゼ)で尿タンパクがで出てしまい移殖から1年6ヶ月経ちましたが、社会復帰の目途はたたない状況です。
 今までの闘病生活の中で1番の心残りは、ドナーさんに感謝の手紙が書けなかった事です。移植後1年間は特に色々な症状で入退院を繰り返していて、ドナーさんへの手紙の期限が1年以内と分かっていましたが、生死が優先順位で1番だったために書くことが出来ませんでした。
 私の第2の人生の命を与えてくれたドナーさん、リスクが0%ではないのに他人のために骨髄を提供してくれた善意の人ドナーさん、そんな人間として尊敬できるドナーさんに感謝の手紙を送れなかった自分の情けなさ・・・。
 今となってはお礼の手紙どころか感謝の気持ちすら伝えられません、そんな私が出来る事は何かと考えると、まずはドナーさんに頂いた命を大切に育て社会復帰をすること。その後はドナーさんの気持ちに応えそして見習って自分自身が出来る事をやる、たとえ骨髄が提供できなくても何かお手伝いできる事があるはずだから。また他の病気で戦っている人でも誰でも私が助けられる事を探し補助が出来るようになりたい。
 私はドナーさんはもちろん損得関係なく協力してくれる皆さんと共に、この地球上で愛を持って生きていきたいです。少しでも長く生きて私のように人生の再出発を求めてる人々を助けてあげられれば幸せです。
 人間は一人では生きていけないことを、この闘病生活をつうじて実感できました。そしてその闘病生活を支えてくれる善意の皆様の力も感じることができました。今度は私がその力になることが、ドナーさんへの感謝の証になるんじゃないかと思ってます。
 最後にドナーの方そして関係者の皆様、見ず知らずの私と家族を助けていただきましてありがとうございました。
 8歳の長女と4歳の長男も「お父さんを助けてくれてありがとう」と神棚に向かい合ってます。もちろん子ども達には移植の内容は理解できませんが、誰かからもらった血で私が治ったことは理解してるようです。そしてこの子ども達を悲しませずに済んだ事に涙をする私と妻がいます。
 家族の中にはドナーさんへの感謝がいっぱいです。言葉に出来ない感謝がいっぱい詰まっています『ありがとう』と。